ギリシアとシルクロード、そして日本

 

先日、こんなことを言われた。「ギリシア・ローマはシルクロードの最初の地点で、日本が最終地点なんですか?」と。

私は答える。

「『シルクロード』という道はないよ。そんな道は存在しない。あれは近代になってからドイツ人が言い出した言い方で、東西交流を象徴的にあらわした言葉で、単なる概念だから。」

「それはわかっています。『シルクロード』が実際に存在した道だとは思いませんよ。よく法隆寺の柱はパルテノンから伝えられた技術だって言うじゃないですか?あれって、ずっと疑問に思っていたんですよ。そんなに遠くからくるのかと。」

「私は懐疑的だけれどね。技術がそんなに遠くから伝わったというのは。でも証明する証拠もないし、否定する証拠もない。古代史というのはそういうものだから。だからなんともいえないよね。」

わたしは彼にそう答えた。その後この問題について深く考えた。

シルクロードというロマンチックな表現は近年ではあまり使われることはなくなったかもしれない。東西交流とはっきり使われることがおおいようにおもう。誤解が多いので私も使うことを好まない。東西交流とはシルクだけのことではないし、そもそも東西交流のルートは一本の道ではないのだから。道といっても実際に存在する「道」ではないからスタート地点もゴール地点も明確ではない。「日本はシルクロードの終着点」という比喩的な表現は誤解を招きやすいと思う。日本とギリシア・ローマが実際の一本の道でつながっていたわけじゃない。

ギリシアでパルテノンができたのが紀元前5世紀。法隆寺ができたのがおそらく紀元後7世紀ごろ。その時間差は1000年以上。その1000年間で、ギリシアはローマに文化を伝え、ヘレニズム期からローマ帝国の時代にかけてギリシア・ローマ文化はインド文化と融合し。そうしてできたギリシア・インド文化がガンダーラの文化となって中国、朝鮮半島、そして日本に来たと考えれば「西洋の文化が日本に伝わってきた。」といえるのかもしれない。インドにいた仏教徒がもともと仏像を作らず、ギリシア・ローマ文化の影響を受けて仏像を作るようになったということを考え合わせると、仏像という存在そのものがシルクロードの産物なのかもしれない。そういう意味ではシルクロードは存在し、ギリシアと日本はつながっているのかもしれないけれど、なんと長い時を要する道なのか!!その道は地上の上よりむしろ時間の上に存在するといったほうがいいのかもしれない。あの柱ももしかするとギリシアから長いときを経て日本まで伝わったのかもしれない。でもそうでないのかもしれない。しかしその明らかな証拠はどこにもない。

エリュトラー海案内記は未読だが、あれはリアルタイムでの東西交流の記録だ。東西が同時代にダイナミックにつながっていた証だ。リアルタイムのダイナミックな東西交流に比べて、もし日本とギリシアの東西交流を考えるとそれは時を超えた東西交流で、二つの東西交流の意味はまったく違う。マルコ・ポーロが旅したシルクロードと日本人が「シルクロードの終着点」という場合のシルクロードはまったく次元が違う。マルコ・ポーロが同時代に東西をまたにかけたのに比べて、日本人は何世紀も時をかけたのだ。それらはひとつに東西交流とまとめるのはふさわしくない。東西交流ではあったとしてもそれは異質だ。動的な東西交流と、川の流れのようにゆったりとした静的な東西交流は別物だろう。

日本に法隆寺ができたとき、もう古代ギリシアは存在しなかった。あえて存在するのなら東ローマ帝国(ビザンツ帝国)であり、かれらはもはや神殿を作ることも神像を作ることもないキリスト教徒だった。